6月5日、元読売巨人の長嶋茂雄さんの葬儀が行われ、その喪主が長男である長嶋一茂じゃなかったことが5chで話題になっている。




長嶋一茂は過去、長嶋茂雄との確執があり、週刊誌でも絶縁報道がされていた。




いったい、長嶋茂雄子供4人に何があったのか?




今回は、長嶋茂雄が愛人宅で倒れたという噂、子供4人と長女・有希さんの噂について、5ch情報をまとめてみた。





■目次

長嶋茂雄の喪主
長嶋茂雄の子供4人と長女の有希さんが重度の難病説
長嶋茂雄と一茂の確執

長嶋茂雄と一茂の確執




記事内容


プロ野球巨人で選手、監督として活躍した巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳だった。葬儀は近親者のみで執り行う。喪主は次女三奈(みな)さん。後日お別れの会を開く。



そんな中、Xからはこんな声がいくつも聞かれる。

《一茂と三奈は葬式で仲良くできるんかね?》
《葬儀の喪主は誰がやるんだろうなあ。一茂は絶縁されてたけど、喪主はともかく流石に葬儀には出席するかな?》

長嶋さんの長男でタレントの長嶋一茂氏と、次女の三奈氏との関係についてだ。

「一茂さんが2009年に長嶋さんの自宅に保管していた記念品や愛用品の数々を独断で福井県福井市にあった『スポーツミュージアム山田コレクション』に売却したことで、長嶋さんと三奈さんの仲が悪くなったと言われています。売り払った“お宝”の中には、2007年に亡くなった亜希子夫人の私物も含まれていたそうで、三奈さんが怒るのも無理はありません」(スポーツ紙ライター、以下同)

その後、一茂氏はテレビタレントとして人気を博すも、公の場で父や妹に触れることはほぼなかった。

「一茂さんと三奈さんの亀裂が決定的になったのは、一茂さんの個人事務所が『長嶋茂雄』を商標登録したことです。もともと長嶋さんの資産や肖像権は三奈さんが社長を務める『オフィス・エヌ』が管理していたのですが、商標の期限が切れたタイミングで一茂さんの事務所が登録。この行為に三奈さんが激怒したそうです」


女性自身



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長嶋茂雄の子供4人と長女の有希さんが重度の難病説





長嶋茂雄には子供が4人いる。


長男・長嶋 一茂(いちしげ)1966年生まれ。
元プロ野球選手。引退後はタレント・スポーツキャスターとしてテレビ番組にも多数出演し、2025年現在は読売ジャイアンツの球団代表特別補佐などを務めていた。



長女・長嶋 有希(ゆき)1967年生まれ。
一般人として生活しているため、メディア露出は極めて少ない。そのため「難病説」や「故人説」「家族絶縁説」といったさまざまな噂がインターネット上に流れているが、いずれも公式には確認されていない。




次女・長嶋 三奈(みな)1968年6月3日生まれ。
元テレビ朝日スポーツ局記者として報道に携わり、その後は「長嶋三奈」としてタレント活動を実施。父・茂雄さんが倒れて入院中には公の場でコメントを発信したり、週刊誌にも度々登場。2025年6月3日の長嶋茂雄逝去の際には、長男・一茂とともに葬儀に参列し、喪主を務めている。



次男・長嶋 正興(まさおき)1970年生まれ。
元レーシングドライバーとして活動していた時期があり、その後は表舞台から退いているため一般人。「資産相続問題」や「家族内の確執」に関する記事でも名前が挙がっている。




特に長女・有希さんに関しては、メディア露出が少ないため憶測や噂が飛び交いやすい状況にある。








ここからは5chで囁かれている、長嶋茂雄が愛人宅で倒れたという噂、長女・有希さんに関する代表的な噂であり、いずれも公式に確認された事実ではなく、あくまで仮の話として紹介する。




まず、一番有名なのが「有希さんは重度の難病を抱えている」という噂。
5chでは、有希さんが重い病気(いわゆる難病)を抱えているのではないか、と伝えられている。その理由は、メディアへの露出も極めて少ないため、真偽が不透明なままさまざまな憶測が生まれた。



他にも「すでに亡くなっている」という噂がYouTubeなどで取り上げられている。

また、有希さんは重度な障害を抱えていたため、家族内で表に出さないようにしていたという説も出回っている。



また、脳梗塞で倒れたとき、長嶋茂雄が倒れた場所が愛人宅だったという噂がある。


長嶋茂雄が2004年3月4日に脳梗塞で倒れた際、実際には当時噂されていたように「愛人宅で倒れていた」という説がある。


当時の長嶋茂雄は別居状態にあった妻・亜希子夫人と別の場所で生活していたとされ、その中で「倒れた当日(04年3月4日)、愛人宅にいた」という話が広まった。報道では、自宅で倒れて運転手に発見されたと伝えられているが、実際は愛人の自宅で倒れたため、息子・一茂がスキャンダル回避のため一度自宅に運び戻してから救急車を呼んだという見方がされている。


結果、治療開始が遅れたのではないかという説も出回り、右半身麻痺などの後遺症が残った要因の一つとされている。(実際の医療記録で真偽は不明)


なぜ妻・亜希子夫人が別居したのか? 
亜希子夫人はもともと膠原病を抱えており、段差の多い自宅(田園調布の豪邸)よりもバリアフリーで病院に近いマンションでの生活を優先していた。そのため別居自体は病気療養のためとも説明しているが、「倒れた当日に愛人宅にいた」という噂が事実であれば、亜希子夫人が不倫関係の継続を知って心を痛め、別居を後押しした──という噂になっている。



療機関側も「自宅で倒れた」としか公表しておらず、愛人宅説はあくまで関係者の証言や匿名情報だけ。関係者や当事者本人から直接コメントが出されたわけではないため、公式記録として裏付けはない。










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長嶋茂雄と一茂の確執






これは、あくまでも週刊誌が書いた情報だが、一茂と家族(特に長嶋茂雄や三奈さん)との確執が取り沙汰されるようになったのは2008年ごろから。



2008年に「長嶋茂雄」という商標権の更新時期が到来した際、本来であれば母・亜希子夫人(当時代表を務めていた株式会社オフィスエヌ)が管理していたはずの権利が、一茂が設立した「ナガシマ企画」に取得されたという。


これについては「少年野球教室協力のためのサインだと思っていたのに、実は商標登録の申請だった」「父や妹を騙して書類に押印させた」との憶測がネット上で飛び交い、結果的に三奈や長嶋茂雄と対立する事態に発展。最終的には商標権は再びオフィスエヌに戻されたものの、この一連の経緯が決定的な溝のきっかけになったそうだ。




その1年後の2009年、長嶋家の自宅で保管されていたミスター(長嶋茂雄)ゆかりのトロフィーや記念品、さらには故・亜希子夫人が使っていた衣類やパスポートなどが、福井県のコレクターに売却したと週刊誌が報じている。


この件は、長嶋一茂自身は「あくまでも処分権は自分にある」「母が生前に許可していた」などと否定しているものの、「父や妹に無断で大事な品物を手放した」というイメージが世間に強く残り、これが長嶋茂雄や三奈さんとの関係悪化をさらに深めたとも言われている。


長嶋一茂自身がなぜこのような行動に出るようになったのか?その原因は「おばさん」と呼ばれる親戚女性の存在が影響しているという。



母が亡くなってからこのおばさんの態度が一変し、一茂は「自分たち兄弟を排除するようになった」と語っていたこともあり、商標トラブルや品物売却騒動がこのおばさん経由でマスコミに流され、一茂が「メディアに追い込まれた」とインタビュー取材で語っている。



さらに、一茂は「父はおばさんの言いなりになっている」「茂雄さん自身も脳梗塞後の後遺症で判断力が鈍り、おばさんを“後妻”的に受け入れてしまっている」という証言を裁判でも行っており、Aさん(おばさん)の存在が家族全体の不仲を加速させたとの噂が根強く残っている。



いずれも公式に確定された事実ではなく、あくまでもインターネット上や週刊誌などで語られている噂であり、真偽は不明だが、家族の不仲を派手な形で世間に知らしめた要因として5chで噂になっている。






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