2005年4月25日に起きた兵庫県尼崎市で起きた福知山線脱線事故について、被害者の遺族が特集され、5chで話題になっている。





この福知山線脱線事故は、JR西日本の組織的問題が明らかになったにもかかわらず、企業としての刑事責任は問われず、実質的に誰も有罪になっていない。JR西日本の歴代3人の社長(井手正敬・南谷昌二郎・山崎正夫)が、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたが、3人とも最高裁で無罪判決。





組織ぐるみの構造的な問題には刑事責任が及ばなかったことが、遺族の間で強く批判された。



今回は、福知山線脱線事故の原因となった運転士・高見隆二郎について、当時の状況、交際していたという彼女の存在について5ch情報をまとめてみた。



■目次

福知山線脱線事故とは
福知山線脱線事故の高見隆二郎の彼女
福知山線脱線事故の車掌の現在


福知山線脱線事故とは





福知山線脱線事故は、2005年4月25日午前9時18分頃、JR西日本福知山線(愛称:JR宝塚線)の塚口駅~尼崎駅間のカーブで発生した列車脱線事故。





発生日:2005年4月25日 午前9時18分ごろ

場所:兵庫県尼崎市のJR福知山線(宝塚線)・尼崎駅~塚口駅間

列車:快速電車5418M(7両編成)

死者:107人(運転士を含む)

負傷者:562人


宝塚発同志社前行きの7両編成の快速電車が制限速度70km/hの急カーブに約116km/hという大幅な速度超過で進入し、脱線。先頭車両は線路脇のマンションに激突。この事故により、運転士1名と乗客106名の計107名が死亡、562名が負傷。脱線した車両は大きく損傷し、特に先頭車両は原形をとどめないほどに大破した。




運転士の高見隆二郎は、事故直前の伊丹駅で約72mのオーバーランを起こし、約1分8秒の遅延が生じていた。この遅延を取り戻そうとする焦りがあった。過去の遅延による指導(日勤教育)を恐れる心理も働いていた可能性が指摘されている。また、車掌との無線交信に気を取られていた。



新型のATS-Pが設置されていたが、運転士がその性能を十分に理解していなかった、あるいは過信していた可能性があり、安全よりも定時運行を重視するような企業風土も背景要因として問題視されている。




参照wiki


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福知山線脱線事故の高見隆二郎の彼女





事故調査報告書や当時の報道などから、高見隆二郎運転士について断片的だがその人物像は報道されている。



高見隆二郎は、2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故で運転士を務め、事故当時23歳。出身地は公表されていないが、関西出身のようで、2000年4月に高校を卒業し、JR西日本に入社後、車掌見習いとして勤務を開始。



2003年4月、運転適性検査に合格し、同年12月に京橋電車区に配属され運転士見習いとなる。2004年5月、正規の運転士として認定され、事故当時の運転経験は約11か月だった。



裁判記録による同僚の証言によれば、高見隆二郎は「快活で冗舌な普通の人」であり、「高見だから起きた事故とは思わない」と証言している。




そんな高見隆二郎運転士に「当時、交際していた彼女が自〇した」という5ch情報があった。



管理人も気になって調べてみた結果、高見隆二郎運転士が交際していた彼女がいたという情報は見当たらなかった。



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しかし、この事故で婚約者を亡くされた荒川由起さんという女性が自〇してしまったというニュースはあった。彼女は13年間同棲していた婚約者を事故で亡くし、その悲しみから事故の約1年半後の2006年10月に自ら命を絶ってしまった。




それは、MBSニュースの特集記事(2025年5月10日)やYouTubeの関連動画などで報じられており、兄である荒川直起さんが当時の状況や妹さんの苦しみについて語られている。記事によると、彼女は「彼がいない世界で生きれるなら違う道選んでるやろ。彼じゃなきゃあかんから頑張ってきたんやん」「二人の未来を奪い 私から全てを奪ったJRが 憎くて憎くてたまりません」といった遺書を残されていたとのこと。




また、別のケースとして、事故で重傷を負った岸本遼太さんも、事故によるPTSDや父親の死などが重なり、2008年に自ら命を絶っている。




なので、福知山線脱線事故の運転士・高見隆二郎に彼女がいたのでなく、この事故の被害者の彼女が自〇してしまったニュースと混同してしまった可能性が高い。





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福知山線脱線事故の車掌の現在






福知山線脱線事故の車掌だった松下正俊さんは現在、どうなったのか。




車掌の松下正俊さんは、事故当時42歳。
事故当時、松下車掌は後方の車両に乗務しており、事故発生時には非常ブレーキの操作や乗客の避難誘導など、職務を全うしようと尽力された。




事故後のJR西日本の発表によると、松下車掌は脱線直後の列車防護措置(後続列車への危険を知らせる無線発信など)が著しく不適切であり、乗客の救護を行わなかったとして、出勤停止7日間の処分を受けた。



その後の情報としては、松下車掌は事故後に体調を崩し休職していた時期があり、職場復帰の際に駅勤務を提示されたことに対し、車掌としての地位確認を求めてJR西日本を訴えたものの、大阪地裁で請求を退けられている。



なので、すでにJR西日本の職員ではない。

年齢的に現在は62歳なので、仕事などの業務から隠居している可能性がある。車掌も事故の影響を受けた多くの関係者と同様に、精神的な苦痛や職務上の影響があった可能性は否定できないだろう。









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