本田美奈子ミスサイゴン事故 (2)


12月15日放送、TBS系列「金スマ」





歌にすべて捧げた本田美奈子の人生を特集。



アイドルとしてデビューした当時から本田美奈子の歌唱力は抜群で、他のアイドルとは一線を画していたが、アイドルとしてはブレイクすることはできず。


ミュージカルにシフトした後、メディアに露出する機会が減ったが、その歌唱力の素晴らしさはお墨付きでだったので、ソプラノ歌手へと転身。世界から注目を集め出したその矢先に大病を患い、帰らぬ人となってしまった。




今回は、本田美奈子の特集がされるので、病気の死因や滑車でひかれたミスサイゴン事故についてまとめてみた。


■目次

本田美奈子とは
本田美奈子ミスサイゴン事故とは
本田美奈子と諸星和己

本田美奈子の死因

本田美奈子とは







本田美奈子(本名・工藤美奈子)は、1985年、シングル「殺意のバカンス」でデビューしたアイドル歌手。1980年代はアイドル歌手として、1990年代以降は主にミュージカルで活動した。2000年代に入ってからはクラシックとのクロスオーバーに挑戦。




2005年1月12日、急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院。
その後、2度に亘る化学療法を受けるが、寛解は得られなかった。急性骨髄性白血病の中でも極めてまれな予後不良の治療抵抗性の白血病であったという。2005年11月6日午前4時38分、東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で家族をはじめとした親類、所属事務所関係者らから看取られながら息を引き取った。38歳没。




参照wiki




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本田美奈子ミスサイゴン事故とは


本田美奈子ミスサイゴン事故 (1)




本田美奈子はミュージカル「ミス・サイゴン」の舞台にキム役として出演していた。



ミュージカル「ミス・サイゴン」は約1年半ぐらいのロングラン。
公演開始から約1カ月たった1992年7月4日、キムがエンジニアにベトナムから密出国をしたいと助けを求め、エンジニアがアメリカに行く夢の歌を歌い終わり、「命をあげよう」のために一斉にセットを隠しながら、キムとタムが現れるシーンの舞台変えのタイミングで、舞台装置の滑車のようなキム役の本田美奈子が右足を轢かれるという事故が起きた。



本番中の事故だったため、そのまま一幕最後の「命をあげよう」までを歌い切ったが、二幕から(ダブルキャストの)入絵加奈子に変更され、本田美奈子は緊急搬送。診断の結果、足の指4本を骨折という不運な事故が起きてしまった。




医師からは全治3か月と診断されたが、 怪我から1カ月足らずで舞台に復帰。

ただし骨折は完治しておらず、特製ギプスを装着しての復帰だったという。このミスサイゴン事故があった影響で、現在は違う演出に変更になったそうだ。




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本田美奈子と諸星和己



本田美奈子ミスサイゴン事故 (4)


本田美奈子は、1990年に週刊誌フライデーで当時、人気アイドルグループ「光GENJI」の諸星和己と親密交際していることが報じられている。




星和己は当時、工藤静香と交際していると噂になっていたため、二股とも報じられた。
他にも酒井法子とデートで河口湖に行った噂があった時期だったため、本田美奈子と本気で交際していたかのかはわからない。



しかし、
本田美奈子は諸星和己がデビューする前から、アイドルとして活動していたため、学生時代の諸星が本田美奈子のファンクラブに加入していたという噂はあるので、ファンとして交友関係にあったのかもしれない。







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本田美奈子の死因





本田美奈子ミスサイゴン事故 (3)


本田美奈子の死因となった病気の白血病は、いわゆる血液のガン。
これまでに後天性の遺伝子(染色体)異常との関連がいわれているが、現在の医学でもまだはっきりした原因がわかっていない。




ネットでは放射線などが原因にあげられているが、白血病にはいくつかの種類があり、細胞の種類から骨髄性とリンパ性とに分けられている。小児では圧倒的にリンパ性が多く、成人では逆に骨髄性が多い(小児のリンパ性白血病の方が圧倒的に予後良好)。



また未熟な細胞が増加する場合(急性)と成熟した細胞が増加する場合(慢性)に分けられるので、本田美奈子の「急性骨髄性白血病」はさらに7つの型があり、各々で悪性度や治癒率が異なっている。なので、一概に放射線が原因とは言い切れない。



医学は、十年単位で考えれば、治療薬はもちろん、移植治療の技術も進歩したことで、長期生存率も伸び、今までは助からなかった患者が助かる様になっている。




白血病も同じであり、小児白血病に関しては、ここ10〜20年で治療が大きく進歩した代表例。



数十年前は小児の白血病はほとんど治らない病気だったのが、効果的な治療薬が確立され、治療を手助けする支持療法が進歩したことなどによって長期生存率は向上した。


現在では、小児の急性リンパ性白血病の約80%以上が長期生存することが確認されている。しかし、逆に言えば「100%治る」段階までは到達していないし、現在でも亡くなる患者はいる。



本田美奈子は入院後、10か月で亡くなっているので、現在の医学でも直せたどうかは不明。発見も遅かったことと、治療抵抗性の白血病であったことなど不幸が重なっていたので、そういった薄幸の歌姫・本田美奈子が神格化されている要因でもあるのかもしれない。











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