福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の遺体メモ内容 (2)


11月29日放送、TBS系列「ワールド極限ミステリー」





戦後最悪ヒグマ襲撃事件「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」について特集。




この福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は、熊に遭遇した時にやってはいけないことばかりをしてしまった事件。


なので、ヒグマ対応策として反面教師にするにはうってつけの事例。

以前は、熊にあったら死んだふり等の間違った情報が流れていた。 しかし、今はネットでの情報も広がり、正しい情報が流れるようになったので、 この福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の教訓もかなり意味合いが薄くなってきている。





今回は、福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の遺体からでたメモ内容、生き残りメンバーのその後や現在について、5ch情報をまとめてみた。




■目次

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件とは
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の遺体メモ内容
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の生き残りの現在その後

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件とは



福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の遺体メモ内容 (4)



福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は、1970年7月に北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町静内高見)の日高山脈カムイエクウチカウシ山で発生した獣害事件。



福岡県福岡市にある福岡大学のワンダーフォーゲル同好会所属の男子学生A(リーダー、20歳)、B(サブリーダー、22歳、生還者)、C(19歳)、D(19歳、生還者)、E(18歳)の5人は、1970年7月12日9時に列車で博多駅を出発し、14日に新得駅へ到着。


7月25日、5人は日高山脈の標高約1,900m、札内川上流に位置する[1]九ノ沢カールでテントを張ったところ、ヒグマが現れた。 大学生を襲ったものと同種のエゾヒグマ 5人はヒグマが荷物をあさりだしたため音を立てて追い払い、荷物を取り返した。



しかしその夜、再びヒグマが現れテントに穴を開けた。

身の危険を感じた彼らは、ラジオをかけっ放しにした上で、交代で見張りを立てたが、その後は現れなかった。 26日の早朝、ふたたびヒグマが現れテントを倒した。 Aの指示で Bと Eが救助を呼ぶため下山を始めた。その途中で同じく登山をしていた北海学園大学や鳥取大学などのグループに会ったので救助要請の伝言をし、B と E は他の3人を助けるため山中へ戻った。




参照wiki






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福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の遺体メモ内容





福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の生存者である滝俊二さんと西井義春さんは、ヒグマに襲われた状況をメモに書き残していた。また、最後の犠牲者となった興梠盛男さんの遺体からは、書き残していたメモが発見されている。


福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の遺体メモ内容 (1)



そのメモは、恐怖に震えた文字で書かれており、「博多に帰りたい」という切実な思いが綴られていた。 興梠盛男さんは、メンバーからはぐれた後、長い時間ヒグマと膠着状態だった。 ヒグマが向かって動き出したのを察知し、死に物狂いで崖を登った。




さらに近くにあった岩を投げつけ、一発目は外したものの、二発目が運良くヒグマの鼻に命中し、ヒグマが怯んだ隙に急いで残したテントに潜り込み、助けを求めた。しかし、ほかのメンバーは救援を呼ぶために下山しており、テントの中はもぬけの殻。



この状況をメモに書き残し、寝袋の中に入り眠りについたという。
翌27日に寒さで目が覚め、残された食料を食べるなどして待機。テントの外をのぞくと、食料の匂いを嗅ぎつけたのか、すでにヒグマが近くにいた。 もはやどうしようもないと悟ったのか、ここからは判別できないほど震えた文字で書かれている。




その直後に、興梠盛男さんはヒグマに襲われたと推察されている。





この事件は無知により被害を大きくしてしまった事例。

結果論からすると、ヒグマに遭遇したら早めに下山する、あるいは他のパーティと合流するなどの行動があれば、この事故は起きなかった可能性は高い。 また、熊の習性を全く知らず、荷物を奪い返したのも悪い典型例。


クマに追いかけられた時にザックや小物を置いて時間稼ぎすることは有効だが、取り返すことは自〇行為。また、その場は助かっても、食べ物の味を覚えると、次の人が追いかけられることにつながるので、安易に物を手放すべきではないのが原則。 また、熊は後ろ向きで逃げると追いかける習性があり、逆に真正面を向いて、固まって後ずさりすれば、熊も警戒して襲いにくい。


熊を甘く見て、 荷物を奪い返す、登山を再開、とやってはいけないことをすべてやってしまったのがこの福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件だ。






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福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の生き残りの現在その後





福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の遺体メモ内容 (3)


福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件のリーダーの竹末一敏さんは、ヒグマに遭遇した時の判断ミスをしてしまったが、生存者である滝俊二さんと西井義春さんは、同行者全員がヒグマに対する情報も専門知識も持ち得ておらず、リーダーだというだけで一人を責めることは出来ないと後に語っている。




しかし、世間は福岡大学ワンダーフォーゲル部の生き残りに対して、批判的な意見が多い。



いきなり何の前触れも無しにヒグマに襲撃されたのであれば、被害者を責める言葉は皆無だった。 しかし、この事件に関しては、何度もヒグマから逃げる機会があったにも関わらず、リーダー含め、同好会としての実績を残したいという思いからか山に留まっている。



また、リュックをヒグマから奪え返すといったタブーも犯した。

ほかの大学の登山組は、この山にヒグマが出たという情報を得て早々に下山しており、被害者は1人も出ていない。 判断ミスの重なりが招いた事件。 だからこそ教訓として学ぶことは多い事件でもある。




福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の生き残りのその後はというと、2016年に日本テレビ24時間テレビ放送回に出演している。



顔にはモザイクがかけられ、名前も伏せられて当時の心境を語っているが、リーダー含めメンバーを残したことをとても後悔していた。3人の遺体も損傷が激しかったので、山頂で焼いている写真なども残っているそうだ。二人はモザイク越しではあったが、インタビューで当時のことをあまり語りたくない様子が印象的だった。




管理人の当時大学で知り合った知人がワンダーフォーゲル部で、福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件を後世に伝える使命があると言っていた。福岡大学には、血の付いたザックやら、引き裂かれたテントが部室に現在も展示されているそうだ。




管理人自身、「熊にあったら死んだふりしたら大丈夫」と最近まで信じていたし、この事件の検証でヒグマの生態実験をしったほど、調べないとわからないことが多い。検証動画では、死んだふりをした人に見立てたマネキンの脚をバキバキ噛み砕いてた。ちなみに嗅覚は犬の約100倍、走る速さは時速65キロらしい。



福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は、1970年なので、科学的検証やインターネット等情報がない時代。
せめて現地住民や行政機関等に十分調査の上だったら、そもそもこの企画自体が無謀な企画であると判断、事件も起きなかったかもしれない。


もちろん過失云々の話では無いが、結果が全てなので、リーダーの過失は認めなければならない。






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