11月14日放送、日本テレビ系「仰天ニュース」
520人が犠牲となった日航機墜落事故について特集。
1985年8月12日に起きた日航123便墜落事故は、相模湾上空を飛行中に、想定外の外的要因により、垂直尾翼等が吹き飛ばされたことにより発生した。
この事故は、単独機の航空機事故として世界最悪の520名の方が亡くなる未曾有の大事故となったが、事故直後には、衝撃が緩和された後部座席を中心に多数の方が生存し、結果的に4名の方が群馬県上野村消防団及び長野県警機動救助隊によって救出されている。
今回は、日航機墜落事故で元力士・琴旭基の恋人・千田美樹さんが取り上げられるので、概要についてまとめてみた。
520人が犠牲となった日航機墜落事故について特集。
1985年8月12日に起きた日航123便墜落事故は、相模湾上空を飛行中に、想定外の外的要因により、垂直尾翼等が吹き飛ばされたことにより発生した。
この事故は、単独機の航空機事故として世界最悪の520名の方が亡くなる未曾有の大事故となったが、事故直後には、衝撃が緩和された後部座席を中心に多数の方が生存し、結果的に4名の方が群馬県上野村消防団及び長野県警機動救助隊によって救出されている。
今回は、日航機墜落事故で元力士・琴旭基の恋人・千田美樹さんが取り上げられるので、概要についてまとめてみた。
■目次
・日航機墜落事故と琴旭基・日航機墜落事故の元力士・琴旭基の彼女は千田美樹
・日航機墜落事故の生存者が〇された?
日航機墜落事故と琴旭基
記事内容
2021年、520人が犠牲となった日航ジャンボ機の墜落事故で大相撲の元幕下力士「琴旭基(ことあさき)」が事故で亡くなった交際女性が残したメッセージを糧に翌年、序二段で優勝を果たした。
墜落事故のあった1985年8月12日の正午過ぎ。
琴旭基は都内のホテルで、交際していた女性(当時20)とその母親の3人で昼食をとった。女性は琴旭基が所属していた佐渡ケ嶽部屋の大阪後援会長の一人娘。この前年、相撲部屋を訪れた女性と初めて顔を合わせ、その後交際した。
だが、琴旭基はまだ入門3年目の新米力士。
周りに内緒で付き合っていた。いつか関取になれたら、結婚するつもりだった。その日、女性は昼食の後、両親と、新幹線で実家に帰省するはずだった。数日後には琴旭基が女性の実家を訪れる予定で、一緒に彼女の服を買いに行こうと約束していた。「着いたら連絡するね」。それが、女性と交わした最後の会話となった。
朝日新聞
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日航機墜落事故の元力士・琴旭基の彼女は千田美樹
日航機墜落事故の力士・琴旭基の恋人だった人は、所属部屋の関西支部後援会長の娘だった千田美樹さん。
1984年、厳しい修行の日々を支えてくれた大阪後援会会長の一人娘の千田美樹さん(当時20歳)と出会った琴天旭は彼女に一目惚れ。
当時は、携帯電話などが存在しない時代。
きっかけは、千田美樹さんの実家の電話番号の交換からだった。千田美樹さんは、後援会の会長の娘ということもあり 、まだ駆け出しだった琴天旭が電話をしても、取り次いでもらえるわけもないので、無言電話をかけた後に、決まった場所で二人で会っていたそうだ。
千田美紀は東京の大学に進学し、本格的に交際を開始。
しかし、1985年におきた日航機墜落事故の被害に遭ってしまう。千田美紀を失った切なさを打ち消そうと相撲に打ち込み、序二段で全勝優勝するまでの活躍を遂げている。
琴旭基は力士を引退後、1998年10月、大阪市で部屋の後輩力士と共にちゃんこ料理店開店。
2003年10月脳出血を発症するも治療・リハビリを続け、この時に献身的に手伝ってくれた女性が身のまわりの世話をしてもらい、彼女がいない生活は考えられないと結婚を決意。事故から30年間、独身を貫き亡き千田美樹を愛し続けたが、現在の妻と結婚したことで千田美樹が眠る御巣鷹山に報告することができたという。
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日航機墜落事故の生存者が〇された?
日航機墜落事は、不自然なところがたくさんある。
まず、日航機123便の機体にはオレンジの塗料なんて一切使われていないのに、破壊された破片にはオレンジ色の塗料が付着していたこと。
当時の報道では、事故直後まだ息のある人が何人かいたが、助けを求める声が聞こえたにも関わらず、救助隊はすぐに助けようとせず、「何かを揉み消すかのような雰囲気があった」という。
この時すぐに救助していれば、もう少し生存者がいたのではないかと言われている。
また、遺体が跡形もなく丸焦げ状態になっていた割りには、周りの木はあまり燃えていない。 遺族が子どもの遺体の返還を要求したら、帰ってきたのは指一本だけ。 災害派遣チームであるはずの自衛官2名が首を吊って自〇。しかも踏み台又はその代わりになるものは周りに無かった。
遺族が事故原因に不服の申し立てを要求するも、政府は一切聞き入れようとしない。
明らかに何か重要な事を隠しているような不自然さがある。 暴露本などが数多く出ているが、123便事故については、当時乗客の名簿が公開され、全て実名で報道されている。特に新聞報道では、乗客全員についてどのような目的で乗ったか、仕事で乗っている人については所属会社名まで報道された。
その乗客全員の名前は、現在も墜落現場である「御巣鷹の尾根」や本事故の慰霊施設である「慰霊の園」へ行けば、石碑に記録されていて誰でも見ることは出来る。
本当に隔壁破壊が原因でそれによって急減圧が起きたのか、生存者の証言や遺族が発表した機内写真を見る限り、またボイスレコーダーを何度も聞く限り、急減圧が起きたとは思えない。
また、遺族の方々の中にも疑問に思っている方がおり、以前より国に対して再調査を依頼する声があがっているのに政府は一切動かない。 今となってはもう、誰も証明はできないので事故調の発表が本当に真実は謎のままである。
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