男闘呼組メンバー死亡 (1)


8月21日放送、日本テレビ系「しゃべくり007」




解散直前の男闘呼組が最後のTV出演し、ジャニーズ退所、サラリーマン生活、成田昭次の兄・成田健一の自〇事件などすべてを語る。



2022年8月に突如30年振り男闘呼組再結成は、当時のジャニーズファンだけではなく、驚く声が多かった。しかし2023年になって多数の追加公演、新バンド結成で新鮮味がなくなり、再結成の反響が想像以上に大きかったから、期間限定と言え、それ以降の話題は少なかった。



長いブランクがあり、50代の男闘呼組の彼らには過酷過ぎる無理なスケジュールだったのかもしれないが、男闘呼組の問題ではなく、バックにいるプロモーターが売り出し方を間違えた感は否めない。



今回の最後のメディア出演で男闘呼組の過去の不祥事やメンバー死亡の噂などすべてが語られるそうなので、男闘呼組の噂について5ch情報をまとめてみた。






■目次

「しゃべくり007」男闘呼組が出演
男闘呼組メンバー死亡
男闘呼組の不祥事

「しゃべくり007」男闘呼組が出演





記事内容





昨年、1993年の活動休止から29年ぶりとなる電撃復活を果たし、約1年間の期間限定で活動を行っている4人組ロックバンドの男闘呼組が、21日放送の日本テレビ系バラエティー『しゃべくり007』(毎週月曜 後9:00)に出演する。


ジャニーズ事務所の本格派バンドとして1988年にデビューした当時、瞬く間に大人気となり一世を風靡(ふうび)した。昨年、29年ぶりに活動を再開すると、男闘呼組を尊敬する後輩たちや国民的大物アーティストがライブにつめかけ大熱狂した。 解散ライブを5日前に控え、最初で最後の同番組出演を果たす4人が語ることとは。



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男闘呼組メンバー死亡






男闘呼組とネットを検索すると「男闘呼組 メンバー死亡」という不吉な検索サジェストが出現する。






結論から言うと、男闘呼組メンバーで死亡した人はいない。




なぜ、このような「男闘呼組 メンバー死亡」という検索サジェストが出現してしまったのか?というと、成田昭次の兄で元ジャニーズの成田健一が自〇してしまったことが原因と思われる。







成田昭次は、男闘呼組のメンバーとしてデビューしているが、兄で元ジャニーズの成田健一はジャニーズJr.のままデビューできずに退所。



成田昭次は、男闘呼組の前身グループ「東京(東京男組)」のメンバーになる1986年の2年前、成田健一は1984年にはすでにジャニーズ事務所を退所していた。退所理由はわかっていないが、当時の2ちゃんねる情報だと、デビューできる可能性がなくなったので、退所して別の職業に就く道を選んだようだ。




兄・成田健一は、ジャニーズ事務所を退社した後、出身の名古屋に戻り、アマチュアバンドを結成し、ミュージシャン活動しながら、地元の美容院で美容師をしながら生計を立てていた。その時に知り合った女性と結婚、2人の子供を授かり、幸せな家庭のように周囲から見えていた。



しかし、兄・成田健一は陶芸の作品に魅了され、陶芸家の道へ。

陶芸家としては、けして順風満帆とは言えず、今の時代で陶芸家として食べていける人はほとんどいない。 人間国宝クラスの人でも陶芸家としての収入は、ほとんどない状態。 陶芸を業とする(作陶する)には他の収入がないと難しい。



成田健一も生活がかなり苦しかったようだ。

そして、2009年11月11日、名古屋国際会議場の敷地内で当時42歳の成田健一が首をつって自〇しているところを発見される。 遺書などは見つかっていないが、2ちゃんねるの情報では、自〇の理由は弟の成田昭次が関係しているという噂になっている。




その理由は、成田健一が自〇する前の2か月前、2009年9月に成田昭次が大麻取締法違反で現行犯逮捕 されるニュース報道があった。当時はコンプラも緩い時代なので、成田健一の自宅や陶芸を製作する仕事までマスコミが押し掛けてきたそうだ。


男闘呼組メンバー死亡 (3)




なので、2ちゃんねるでは、弟の成田昭次逮捕が直接の原因ではないが、責任を感じ、陶芸家としても絶望的な極致に立たされてしまったことで、自〇の引き金になったのではないか?という噂が残っている。




まとめると、「男闘呼組 メンバー死亡」は事実ではなくが、メンバーの成田昭次と同じジャニーズだった兄・成田健一が死亡したことで検索サジェストが出現してしまったと思われる。








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男闘呼組の不祥事





男闘呼組がデビューした時代は、「男がアイドル?」と鼻で笑われ、見下される時代だった。




当時はバンドブームで、男闘呼組はまさに異質な存在。

男闘呼組のデビュー前のジャニーズ事務所は、少年隊や光gennjiなどダンスや舞台パフォーマンスでファンを魅了するのに、バンド形式というデビュー自体が異端。




バンドという点では、TOKIOの方が演奏のテクニックなどは上だが、やってる音楽的要素やメーンバーのキャラなどを考えるとKAT-TUNに近い存在だった。男闘呼組はそんな異質なバンド形式でデビューしたこともあって、ジャニーズの当時としては珍しく、女性ファンのみならず、男性からも支持を受けた。





そんな全盛期の男闘呼組の最大の不祥事は、有名な「夜のヒットスタジオ事件」


男闘呼組として出演した成田昭次が、夜のヒットスタジオ番組内で接触事故を起こしたことを謝罪した。


男闘呼組メンバー死亡 (2)



この夜のヒットスタジオという番組は当時、生放送だったので、接触事故を起こして怪我をさせてしまった相手の女性の方が番組中に電話で「大丈夫です。(お仕事)頑張ってください。」と電話音声もそのまま放送で流し、大きな話題となった。



それに男闘呼組メンバーが感極まったのか、スタジオで泣きながら歌って、視聴者も騒然となった。




翌日の新聞にも掲載されるほど、この夜のヒットスタジオ事件は注目を集めた。


事故を起こした成田も悪いが、事故を起こした翌日に、生放送に出演させたことに、ジャニーズ事務所への批判的な意見が多かった。そのため、この夜ヒット事件後、しばらく活動自粛という形をとっている。




男闘呼組はこういった不祥事があったことが、活動期間が短く解散してしまった要因かもしれない。







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