
5月31日放送、TBS系「ワールド極限ミステリー」
時効寸前で逮捕となった福田和子について特集。
平成22年4月27日、殺人罪など「人が死亡した犯罪で刑罰に死刑があるもの」について、公訴時効が廃止された。 改正前の犯罪でも平成22年4月27日までに時効が過ぎていないものは時効が廃止されているが、それまでに時効が過ぎている場合には適用されない。
つまり、改正前の犯罪は時効が過ぎてしまった場合、罪に問えない。
福田和子はあと2週間もすれば時効が成立していたのに、うすうす気が付かれてると察知していたはずなのに、なぜ、おでん屋に連日のように通ったのか?
今回は、福田和子のおでん屋、勤めていた和菓子屋「松栄堂」の現在について、5ch情報をまとめてみた。
時効寸前で逮捕となった福田和子について特集。
平成22年4月27日、殺人罪など「人が死亡した犯罪で刑罰に死刑があるもの」について、公訴時効が廃止された。 改正前の犯罪でも平成22年4月27日までに時効が過ぎていないものは時効が廃止されているが、それまでに時効が過ぎている場合には適用されない。
つまり、改正前の犯罪は時効が過ぎてしまった場合、罪に問えない。
福田和子はあと2週間もすれば時効が成立していたのに、うすうす気が付かれてると察知していたはずなのに、なぜ、おでん屋に連日のように通ったのか?
今回は、福田和子のおでん屋、勤めていた和菓子屋「松栄堂」の現在について、5ch情報をまとめてみた。
■目次
・福田和子とは・福田和子の和菓子屋「松栄堂」現在
・福田和子 おでん屋に通った理由
福田和子とは

福田 和子は、1982年(昭和57年)8月19日に発生した松山ホステス殺害事件の犯人。
犯行後、時効直前の1997年(平成9年)7月29日に逮捕されるまで約15年にわたり逃亡したことで広く知られている。
参照wiki
金品目当ての営利殺人なので、刑も重く、無期懲役はほぼ確定。
福田和子は最初のホステス殺人事件の犯罪事実だけで無期になっていた。ちなみに報道では猟奇殺人ばかり大きく取り上げられたが、死刑や無期になる犯罪の多くが営利殺人(強盗殺人、保険金殺人、身代金目的の誘拐殺人など)。
なので、福田和子は長い逃亡生活を送る選択を選んだ。
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福田和子の和菓子屋「松栄堂」現在

福田和子がいた潜伏先として勤めていた石川県の老舗の和菓子屋で「松栄堂」は現在、どうなっているのか。
福田和子は、最初の結婚で生まれた17歳の長男を和菓子屋に呼び寄せている。
福田和子は、逃亡1年目に金沢のスナックで和菓子屋の主人と知り合った。知り合う前に、スナックの客の男性と同棲していたにもかかわらず、和菓子屋の主人に出資させて同棲の為のアパートを借りており、それ以前に同棲していた別の男性とも切れないまま、二股をかけていた。
のちに、和菓子屋の主人は妻と間に生まれた子供2人を引き取り離婚。
福田和子は和菓子屋の主人を選び、和菓子屋で内縁生活を開始。主人は福田和子との再婚を望んだが、福田和子は客あしらいが上手いこともあって、話をはぐらかしつつも和菓子屋は売上も伸びて姑の受けも良かったそうだ。
しかし、和菓子屋の主人が引きとった2人の子供は福田和子と相性が悪く、自分の本当の息子に会いたくなった衝動で、和菓子屋での生活が始まった1年後、今治まで舞い戻り長男に再会している。
長男に「母親についていきたい」と告げられ、福田和子は長男のことを両親を亡くした甥と紹介し、和菓子屋で同居生活を送ることになる。
この時、和菓子屋の主人は「二人があまりにも似ているので親子である」と疑っていたそうだが、福田和子との生活を壊したくないので、そのことに深く言及せず、長男は見習いとして和菓子屋に住み込みで働くようになる。
和菓子屋の主人は、長男を受け入れたこともあって福田和子に入籍を迫っていたが、婚姻届けを提出するには戸籍謄本を取り寄せる必要があり、そうなれば嘘も指名手配犯であることもバレてしまうので、福田和子は婚姻ができなかった。
身元が分からない福田和子について、和菓子屋の主人の姉が不審に思い、調べてみると京都の料亭の娘というのも嘘であること、甥の出身地が真鶴というのも免許を盗み見ると違うことが分かり、逃走中の福田和子だと発覚。ついに警察が逮捕状を持って現れることになるのだが、 間一髪、警察の動きを察知して、サンダルと盗んだ自転車で逃亡に成功することになる。
この和菓子屋「松栄堂」は現在どうなっているのか?
5ch情報では、石川県能美郡(現能美市)にあった和菓子屋「松栄堂」は2018年7月に閉店しており、現在は営業していないそうだ。
公訴時効までの15年近くの5459日間、日本各地を転々としていた福田だが、潜伏生活の中で最も大胆だった石川県根上町の和菓子屋の後妻(入籍はしておらず、事実上の内縁関係)の座に納まっていたことは当時のニュースでも衝撃的だったようで、マスコミが殺到。その店には当時、星稜高等学校の高校生だった松井秀喜も客としてよく菓子を買いに来ており、逮捕後のインタビューで「きれいで愛想のいい奥さんだった」と語っている。
この事実は、当時のワイドショーや週刊誌でも大きく取り上げられた。
その後は愛知県内でモーテルの客室清掃員などもしていたらしいが、詳しい足取りは不明。逮捕後の供述では、大阪を拠点に近畿地方・中国地方・北陸地方等の料理店などを転々としていたとしている。
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福田和子 おでん屋に通った理由

福田和子は時効寸前なことも知っていながら、なぜおでん屋に通ったのか?
福田和子が時効直前なことを当時のメディアは、盛んにワイドショーなどで連日のように取り上げられていた。それを見たおでん屋の女将さんと常連客である福田和子は、テレビを見て「和子ちゃんと同じ名前、でも顔が違うみたい」な話になった時、「よく似ているといわれる」と福田和子が笑い話にしていたそうだ。
結果、女将さんが福田和子に似ている事を怪しみ、ビール瓶等から指紋を採取してそれがきっかけで逮捕されたが、この時におでん屋に通うことをやめていたら、逮捕されなかった。
なぜ、おでん屋に通うことをやめなかったのか?
福田和子本人から語られていないので真相は不明だが、著書「実録福田和子物語」によると「逮捕前日、行きつけの店の女将に疑ってるやろと聞いて否定されはしたものの、ホテルのチェックアウトを迷ってしまって、結局女将を信用してしまった」と書かれている。
それが15年の逃亡生活のピリオドとなった。
逮捕後「ホッとした」と、これが逃亡者の福田和子の心境だったのかもしれない。 逃げて自由な自分と捕まって救われる自分とをいつも想像しながら逃亡生活をおくることに疲れていた。たとえ逃げ切って刑を受けなくても、世間は許さないことはわかっていたはず。
逃亡中でもビジネスホテルに宿泊し続けていた福田和子は毎日、チェックアウトしなければならないから、行き場所が無かった。昼間から飲めるおでん屋があって、それで常連客になっていた。
時効直前で連日連夜、蓄積された寂しさと捕まるかもという不安と実は周囲にバレてたらどうしようという疑心暗鬼、孤独という気持ちが入り混じっての行動。 じっとしておけば逮捕されなかったのが「自分を誰も知らないこと」に耐えられなかったのかもしれない。
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