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8月6日放送『奇跡体験!アンビリバボー』穏やかな海で36人死亡…日本最悪の水難事故「橋北中学校水難事件(きょうほくちゅうがっこうすいなんじけん)がなぜ起きたか特集する。

橋北中学校水難事件とは

1955年7月28日に三重県津市の津市立橋北中学校の女子生徒36人が、同市中河原海岸(文化村海岸)で水泳訓練中に溺死した水難事件。
約200名の女子生徒は泳げない者が大半を占めていて、テストで少しでも泳げる者としての認定を受けようとしてして起きてしまった事件。

これ以降、類似した事件が多発している。

その原因が心霊のよるものだと生存者の一人が語っている。

生存者の一人、「弘子さん」のよると一緒に泳いでいた同級生が、「弘子ちゃん、あれ見てー」と、しがみついてきたので、二,三〇メートル沖を見ると、その辺で泳いでいた同級生が、つぎつぎと波間に姿を消していくところだった。すると、そこで弘子さんは「水面をひたひたとゆすりながら、黒いかたまりが、こちらに向かって泳いでくる」のを見た。
それは何十人もの女の姿で、ぐっしょり水を吸い込んだ防空頭巾をかぶり、もんぺをはいていた。逃げようとする弘子さんの足をつかんだ力はものすごく、水中に引きこまれていったが、薄れゆく意識の中でも足にまとわりついて離れない防空頭巾をかぶった無表情な白い顔を、はっきり見続けていたという。
 弘子さんは助けあげられはしたが肺炎を併発し二十日間も入院したが「亡霊が来る、亡霊が来る」と、よくうわごとを言ったという。「防空頭巾にもんぺ姿の集団亡霊」というのには因縁話があって、津市郊外の高宮の郵便局長・山本剛良氏によると、この海岸には、集団溺死事件の起こったちょうど十年前の月日も同じ七月二八日に米軍大編隊の焼打ちで市民二五〇余人が殺されており、火葬しきれない死骸は、この海岸に穴を掘って埋めたという。山本氏から、この話を聞かされた弘子さんは、手記の中で「ああ、やっぱり私の見たのは幻影でも夢でもなかった。あれは空襲で死んだ人たちの悲しい姿だったんだわ」と納得している。
昭和38年(1963年)『女性自身』の記事。


この事故以降、事故現場一帯の中河原周辺の海岸は遊泳禁止となっている。

当時のニュース
http://www.youtube.com/watch?v=_jIIzk0ljeA



・生存者談
http://www.youtube.com/watch?v=HUrqNzRJQIs&feature=related



6:
>>1
それって事故では?
オカルト的要素は皆無かと><

15:
現在は遊泳禁止ってのが・・・コワス!!!

20:
その中学校では伝説となっているそうな。

21:
ここは心霊スポットになってるの?
一度行ってみたい。

23:
この事件の影響で津市の公立小中には早くからプールが出来た

26:
怖い話だ

33:
どっからどこまでが本当なのか

35:
これは本物のオカルトやな。

50:
こりゃ大変だ!

51:
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

54:
県外の人は伊勢神宮いったついでに来るといいよ ほんと寂しいところだから
慰霊碑あるから供養してね。

57:
これ以上は深追いしないで・・・本当にヤバイから。

94:
マジでヤバすぎる・・・

96:
負の連鎖が始まったよ

99:
もう責任持てない・・・

104:
怖いよ。

105:
神隠し

118:
ここって地図で見てもあやふやな記載になってるよな。
結局なにが在ってそうなったのよ?浜辺に集められた空襲の被害者は生きていたの?
水を求めて海へ?
それとも疎開か移動中の艦船が沖で沈没したか?
三重県は僻地の秘密主義だから探れないのかな。

119:
綱が切れて離岸潮流を回遊していた遠浅漁の地引き網に引っかかって、
遊泳中の女子中学生が大量に犠牲になったのが事件の真相。

幽霊云々は、救急病院の看護士からマスゴミに伝わって尾鰭がついた話。
そもそもマスゴミは、集中治療中の中学生に直接取材などできなかった。
これ1つだけでも『戦災児童の幽霊説』が、いかに根拠の乏しいものかが解る。