重信房子の現在 支援者は誰 (5)


9月20日放送、日本テレビ系「仰天ニュース」


リーダー・重信房子によって組織された日本赤軍の国際テロ事件「ダッカ日航機ハイジャック事件」特集。




ダッカ日航機ハイジャック事件は、超法規的措置でテロに屈し、当時の福田赳夫総理「人命は地球よりも重い」という言葉を生み出した。

重信房子の現在 支援者は誰 (4)




当時の日本の社会情勢はともかく、当時の国民世論は「テロに屈した」ことへの批判はかなり多かった。 当然、諸外国からも激しく批判され、さらに悪いことに、その同じ年、ダッカ事件の後にルフトハンザ航空181便ハイジャック事件がおこり、西ドイツ政府は、ミュンヘンオリンピック事件を機に創設された特殊部隊GSG-9を航空機内に突入させ、犯人グループを制圧し人質を救出している。


このテロ制圧に、世界はこの対応を絶賛し、まだ忘れられていないダッカ事件に、対する日本の対応が世界中から嘲笑されてしまう結果となった。



なぜ、日本はテロに屈してしまったのか?



今回は、日本赤軍のリーダー重信房子の支援者や現在、5chの概要についてまとめてみた。




■目次

ダッカ日航機ハイジャック事件とは
重信房子は何をしたのか
重信房子の現在や支援者は誰?

ダッカ日航機ハイジャック事件とは



重信房子の現在 支援者は誰 (3)



ダッカ日航機ハイジャック事件は、1977年9月28日に、日本赤軍が起こしたハイジャック事件。


1977年9月28日に、フランスのパリ、シャルル・ド・ゴール空港発ギリシャのアテネ国際空港、エジプトのカイロ国際空港、パキスタンのジンナー国際空港、インドのムンバイ国際空港、タイのドンムアン国際空港、香港の啓徳国際空港経由東京国際空港行きの日本航空472便が、経由地のムンバイを離陸直後、拳銃、手榴弾などで武装した日本赤軍グループ5名によりハイジャックされた。



同機はカルカッタ方面に一旦向かった後、進路を変更してバングラデシュの首都ダッカのジア国際空港に強行着陸、犯人グループは人質の身代金として600万ドル(当時の為替レート〈1USD≒約266円〉で約16億円)と、日本で服役および勾留中の9名(奥平純三、城崎勉、大道寺あや子、浴田由紀子、泉水博、仁平映、植垣康博、知念功、大村寿雄)の釈放と日本赤軍への参加を要求し、これが拒否された場合、または回答が無い場合は人質を順次殺害すると警告した。



この時、犯人グループから「アメリカ人の人質を先に殺害する」という条件が付けられ、この影響を受けて、その後の日本政府の対応にアメリカへの外交的配慮があったとする見方もある。また、この便には当時のアメリカ合衆国大統領ジミー・カーターの友人であるアメリカ人銀行家が乗っており、犯人たちはそのことを事前に知っていた。




日本政府は、10月1日に福田赳夫首相が「一人の生命は地球より重い」と述べて、身代金の支払いおよび「超法規的措置」として、収監メンバーなどの引き渡しを行うことを決めた。




なお釈放要求された9人のうち、植垣は「日本に残って連合赤軍問題を考えなければならない」、知念は「一切の沖縄解放の闘いは沖縄を拠点に沖縄人自身が闘うべきものであり、日本赤軍とは政治的、思想的な一致点がない」、大村は「政治革命を目指す赤軍とはイデオロギーが異なる」と述べ、それぞれ釈放および日本赤軍への参加を拒否した。




参照wiki





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重信房子は何をしたのか




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ダッカ日航機ハイジャック事件は、リーダーの重信房子と日本赤軍に対し、日本政府は全面降伏して600万ドルの身代金と日本国内で在監していた受刑者や被告人を釈放して引き渡し世界に恥をさらした。



テロリストは原則として、その場で〇すのが世界の常識。


でないとこのような奪還テロが起こり、今後同じような事件が起きたら、治安部隊なり軍隊の特殊部隊なりを突入させて制圧させるべきだった。



しかし、当時の日本には、このような時に対処できる特殊作戦部隊が警察にも自衛隊にも存在しておらず、実力行使が不可能だったのもあってか、テロ組織の要求に屈し、身代金支払いと被疑者釈放をしたため、世論に徹底的に避難された。




その反省から警視庁と大阪府警に内密に特殊部隊が編成され、これが後のSAT(特殊急襲部隊)の基礎になった。



このSATは、1979年に起きた三菱銀行北畠支店強盗殺人事件の際、犯人狙撃の指示を受け7名の突撃隊が42時間後に警察の説得で協力依頼していた人質の手引きで民間の錠前会社の支援で開錠した通用口から匍匐前進で侵入して犯人のスキをついて拳銃8発を撃ち込み、うち2発が命中、犯人を射殺して事件を解決している。



このダッカ日航機ハイジャック事件の犯人グループ、

丸岡修
和光晴生
佐々木規夫
坂東國男
西川純


の5名とリーダー重信房子の目的は、拘束中のメンバーら6人(日本赤軍・奥平純三、東アジア反日武装戦線・大道寺あや子と浴田由紀子、赤軍派・城崎勉、獄中組合・泉水博、仁平映)の解放と、600万ドルの身代金、そして亡命。




亡命したアルジェリアは、今でも後進国。

あの事件当時は、アルジェリアの警察力は貧弱で、日本赤軍メンバーは悠々とシリアなど左翼過激派の有力な国まで逃げ去った。だからこそ行き先にアルジェリアみたいな後進国を選んだことにより、亡命成功。


過激左翼軍リーダー重信房子の日本赤軍に敗北する結果となってしまった。






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重信房子の現在や支援者は誰?



重信房子の現在 支援者は誰 (2)


重信房子は現在、20年の刑期を終えて出所している。



日本赤軍の重信房子は、テロリーダーであり、悪者扱いされているが、アラブ諸国では英雄の一人、被害者であるパレスチナの人から英雄扱いされる。



重信房子はパレスチナで、パレスチナ解放人民戦線で戦った「レッドアーミー」と恐れた部隊の一人。


日本とパレスチナとは、刑事協力がないので重信房子が銃を持った写真など今でもネットで見ることが出来るが、殺人罪の証拠はなかった。


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証拠があるのはイスラエルの空港で銃を乱射して何百人も〇して、防犯カメラの証拠がある岡本公三(国際手配)だけ。



また、あさま山荘事件は、連合赤軍。

実行犯の坂東國男のみ日本赤軍が起こしたクアラルンプール事件で「超法規的措置」で釈放され日本赤軍と合流し、重信房子の忠実な側近となった。釈放要求に坂口弘も入っていたが、坂口は拒否。加藤兄弟ら少年は要求対象外。クアラルンプール事件も重信房子が指示命令、共謀した証拠がない。




当時の日本は、豊かになりつつも、貧富の差が激しかった。

政治を真剣に考える大学生が多く、共産主義から派生した団体が多く存在した。大学を包囲したりと、今の自民党の議員でも、大学時代は赤旗、革命旗を降った人もいるほど、当時の大学生の神様的存在だったのが重信房子。



そういった理由で、重信房子には多くの支援者が集まってくる。



出所した重信房子には「多くの支援者がいる」ような報道がされていたが、有名なのが日本赤軍支援団体「重信房子さんを支える会」。日本赤軍以前からの支持者も、まだ居ることは居るようだけど、年齢的に亡くなられてる方が多いそうだ。なので、赤軍の学習会に参加している人達。こういった人たちは、現在でも企業やマスメディアなどに入って、革命を目指した左翼に理想をもっている。



こういった左翼系の団体は、かなりの数が存在する。(もちろん右翼団体も)
左翼団体は所謂「市民活動家」が組織してる団体で、沖縄の基地問題など、「反政府」活動をしている人達。



重信房子自身は、年齢的にもう何かをしようという気はない。

支援者が「重信房子を担いで」という可能性はなくはないが、おそらくそこまでの影響力はもうない。 活動してること自体に意義というか、アイデンティティーを感じてるだけであって、本気で国家をどうこうしようなんて実行力はないだろうが、こういった団体があることは覚えておいた方がいいだろう。










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