北九州市病院長殺害事件の犯人や津田病院


7月28日放送、フジテレビ系「奇跡体験!アンビリバボー」実録!戦慄の国内事件SP






1979年、福岡県北九州市小倉で起きた北九州市病院長殺害事件の真相を特集。
1979年11月4日に発生したこの事件は、北九州市にあった津田病院の津田院長から現金を奪った上、〇体を解体して周防灘に棄てた凶悪犯罪だったことで、当時はかなり世間を騒がせた。



数人を〇しても死刑にはならない日本で、この事件は被害者が津田院長一人であったが、犯人の二人には死刑判決が出たことも注目された。



つまり日本の死刑制度は、永山基準をみていない。



今回は、犯人の横山一美・杉本嘉昭がなぜ死刑判決となったのか、5chの事件概要をまとめてみた。


■目次

北九州市病院長殺害事件とは
北九州市病院長殺害事件の犯人は横山一美・杉本嘉昭
永山基準とは

北九州市病院長殺害事件とは




北九州市病院長殺害事件は、1979年(昭和54年)11月4日から5日にかけて福岡県北九州市小倉北区で発生した事件。




大病院を経営していた男性A(当時61歳)が、男2人によって金目的で〇害され、(国東半島)沖の海に投棄された。加害者2人は1988年(昭和63年)に最高裁で死刑判決が確定し、1996年(平成8年)に死刑を執行されている。


1983年(昭和58年)に最高裁が死刑適用基準として「永山基準」を示して以降、2009年(平成21年)3月時点までに、殺害された被害者が1人の事件で、複数の被告人の死刑が確定した事例は、本事件が唯一である。



参照wiki



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北九州市病院長殺害事件の犯人は横山一美・杉本嘉昭






wikiによると、釣具店店主の杉本嘉昭(当時33歳)と横山一美(当時27歳)は、遊興費欲しさに北九州市小倉北区の病院の院長を監禁し、強盗する計画を共謀した。



被害者である北九州市小倉北区の病院長・津田薫(当時61歳)は、この犯人が経営するスナックの常連客だったそうで、派手に遊びまわっている様子から、ターゲットとして狙われてしまった。



津田病院自体の所在地は、三萩野1丁目にあったが、現在は跡形もない。ちなみに、犯人の杉本嘉昭が経営していた釣具店はまだ存在しているそうだ。

北九州市病院長殺害事件の犯人 (4)


北九州市病院長殺害事件の犯人 (3)

事件後、二人は相手が主犯だと主張したようだが、1988年5月に2人の死刑が確定、1996年7月11日に死刑を執行されている。被害者1人の事件で死刑が言い渡された事例は、なかったことから、死刑執行時には事件関係者から賛否両論の声が上がった。




いわゆる「永山基準が判断されていない」と当時も注目を集めた。






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永山基準とは





永山基準とは、9項目ある死刑判決になるときの判断基準のようなもの。


北九州市病院長殺害事件の犯人 (1)


・犯罪の性質
・犯行の動機
・犯行態様(特に殺害方法の執拗性、残虐性)
・結果の重大性(特に殺害された被害者の数)
・遺族の被害感情
・社会的影響
・犯人の年齢
・前科
・犯行後の情状




これらの複数の要因を考えて死刑判決が下される。
北九州市病院長殺害事件の犯人である横山一美・杉本嘉昭の行為は、社会的影響は極めて大きかったが、それ以外では他の事件と比べて突出しているとは言えず、無期懲役になる可能性が最も高いと思われた。




特に重要視されるのは、結果の重大性(被害者の数)、動機(金のためにもあるし、偶発的な一時の感情爆発ではその悪質性がまるで違う)の二つ。



なので、この犯人の二人には死刑判決が下された。

他の事件では、名古屋の闇サイト殺人事件も被害者一人に対し、犯人は3人。
犯人3人中1人は死刑判決受け入れたので、既に執行済。残りの2人は、上告したので無期懲役だが、その内1人は別の事件で死刑判決でている。



同じ生い立ちで同じ心境で犯罪を犯した人は皆無だから、生い立ちや心境を考慮した判決はすべてが違って当たり前。すべての犯罪は、犯人が違えば判決が違って当たり前なのに、死刑執行に疑問を呈している人は、その判断できずに判例にしがみついている。




それに、永山基準は別段法規制されたものでも何もない。

勿論、同じような事件が起こった場合、「参考」として見る判例として効果はあるが、あくまで議論になる基準としての一つであるというだけ。裁判官は個々として独立しているので、その法解釈の公平な良心に期待するしかない。










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