宮崎勤 死刑執行の様子 (1)



1989年7月23日、東京都八王子市内で幼女誘拐事件を起こし逮捕された宮崎勤事件について、犯行を自供させた「完落ち」させた取調官の大峯泰広氏がなくなった報道がされ、再び5chで注目されている。



この事件は当時、ヲタク=犯罪者みたいな偏向報道がされ、同年代の異性と対等に付き合えない男性は犯罪者扱いがされた。



いわゆるアニヲタが起こす猟奇的な事件の発端となったような事件ではあるが、この事件は謎が多いといわれている。



今回は、宮崎勤が死刑執行の前に最後の言葉が5chで注目されているので、事件の概要についてまとめてみた。




■目次

宮崎勤とは
宮崎勤の異常なビデオ内容
宮崎勤死刑執行の様子や最後の言葉

宮崎勤とは





宮崎勤 死刑執行の様子 (4)

1988年から1989年にかけて東京都北西部および埼玉県南西部で発生した、幼女誘拐事件。


4歳から7歳という低い年齢の女児が被害者となり、犯行声明を新聞社に送り付ける・野焼きされた被害者の遺骨を遺族に送りつけるなどの、極めて異常な行動を犯人が取ったことから、欧米を中心に多発する児童誘拐事件などとの比較も行われ、戦後日本犯罪史上にて初めてプロファイリングの導入が検討された。



特異性が強い事件であったため、事件発生当初から激しい報道合戦が繰り広げられ、後に犯人の父親が自○したことで「メディアスクラム」をはじめとする報道のあり方が疑問視された事件でもあった。



1989年7月23日、この事件の犯人である宮崎勤が八王子市にて別件のわいせつ事件を起こしているところを被害者の父親に取り押さえられ、八王子警察署に現行犯逮捕された。



参照wiki



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宮崎勤の異常なビデオ内容




宮崎勤 死刑執行の様子 (3)

宮崎勤の幼女4人を誘拐し、その幼女の骨を自宅にダンボールに入れて郵送した「異常な行為」で当時のニュースはこの話題で持ち切りとなった。



詳細はwikiに書かれているのでここでは省くが、宮崎勤が約6000本ものビデオテープを所有している事は確かに普通の人ではないが、それは小説家や学者の部屋に沢山の書物が積み上げられている事、料理人が鍋や包丁を溢れんばかりに持っている事と何ら違いが無い。




ただ当時ワイドショーかNHKの報道で宮崎勤の部屋を放送したとき、その部屋のテレビに映っていたのが「ウルトラセブン12話遊星より愛をこめて」のタイトル部分であった事があまりにも衝撃的な映像となった。


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この12話は、当時でさえ発禁作品となっているもので、ダビングし流失したものは極めて希なものだった。



これを持っていた宮崎勤は、希に見る「映像マニア」だったことは間違いないが、全国放送の僅かな時間に見せるため、あの6000本というビデオテープの中からわざわざこの作品を選び出し日本人全員に向けて放送した「マスコミの意図的な情報操作」の一端が現れた事例でもある。



何が何でも「オタク」という趣味の人間を「社会から排除したい」という強い意志のようなものが伺えた。



一般の人に「発禁となった12話」は、さして気にかからかっただろう。
でもこれに反応する一部の人たちにとっては「このことを知っているやつらは変態異常者として処罰するぞ!」という暗黙の圧力としてのメッセージにしかみえなかった。



マスコミ、警察、当時の社会による排除の論理が働いて、オタクらが槍玉に挙げた事件と考えていい。





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宮崎勤死刑執行の様子や最後の言葉



宮崎勤 死刑執行の様子 (2)



宮崎勤を取材していた記事によると、結局最後まで反省や謝罪はなく、自分の犯した罪の意味を分からず、死刑執行を受けたようだ。





なので、宮崎勤は最後に「私は世間に勘違いされた。本当は、優しい人間だと伝えてほしい」と取材した記者や知人あてに合計で2,000通近くの手紙を拘置所内から送っていたそうだ。



また、一部ネットの噂では、宮崎勤の死刑執行までの様子を録音した音声があるそうだが、管理人が調べた結果、YouTubeなど動画配信サイトでは公開されていない。ちなみに、5chでその死刑執行の様子の音声を聞いた人物によると、何だが言葉からは少なからず余裕があったという。




その状況に改めて、死刑執行はやむを得ないと思ったのかもしれない。



日本は死刑確定から執行まで、多くが数年から十数年もの間、平均では7年6か月を要するのに、宮崎勉の死刑執行は2年弱という異例の速さで行われている。




賛否があるが、法治国家だから判決が確定した以上、遅い早いの問題ではない。



ただ問題点は、冤罪の可能性があったということ。

宮崎勤が逮捕されたきっかけは、新たな幼女を物色しターゲットを決めた矢先に、その親に取り押さえられたこと。家宅捜査すると、被害者の写真も出て来ているし、状況証拠は完璧。




真犯人であることは疑いようが状況ではあるが、物的証拠が見つかっていない。



宮崎勤の部屋と他の家族部屋とは、カ―テンやベニヤ板で簡単に仕切られているだけにもかかわらず、腐敗が進んだ遺体が部屋あったこと、その部屋で犯行に及んだことをそれまで家族が誰も気付いていなかったのがおかしい。 また、隣の部屋にいた妹は「腐敗臭などしなかった」と証言している。





宮崎勤裁判で使われた供述調書によれば、犯行に使われた宮崎勤の車は日産車。しかし、事件前に犯人らしき男が、山で車がエンストを起こしたのを助けた人の証言によると、「車はトヨタの車だった」と言っている(宮崎勤の車は日産ラングレー)


これは、車関係に関わる人たちが助けてあげてるので、車種を間違える訳はない。



また部屋から押収されたノコギリから、被害者の血液反応が出なかった。宮崎勤は犯行に使用したノコギリを河川敷に捨てたと供述したが、そのノコギリは、どこを探しても見つかっていない。




そして、犯人は日々の報道をチェックしながら、その報道をみて犯行声明文を書き、「身元の分からない」ような細工をした上でポストに投函している。


しかも筆跡を操作し、書き損じがない。



その手紙と宮崎勤の筆跡が一致したという証拠がない。

封書、手紙に指紋が「封書についていた指紋が一致した」とか、「切手についていた唾液のDNAが一致した」とか、手紙を書いたのが宮崎勤という証拠は出ていない。




状況証拠と宮崎勤の自白のみ。


これらの謎が残ってさらに精神鑑定を行っている途中で、当時の鳩山法務大臣は犯行動機が未解明のまま、宮崎勤の死刑執行を行っている。




もちろん、犯行は卑劣であり、被害者の立場になってみれば犯人を許せないが、なぜ謎を残したまま、宮崎勤の警察での取り調べの自白のみだけで、死刑執行を急いだのか?謎ばかりが残っている事件なので、ネットでは冤罪説が出回っているのだろう。








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